世の中のすべての出来事に因果関係があります。ガンもまた例外ではありません。仏教家は「今この世での状況が前世の因果であり、来世がどのようなものか知りたければ、今行っていることを見れば良い」と言います。同様にどのような病気の発生や予防も(もちろんガンも含みます)、自然の因果関係から決して分離したものではないと、考えられます*@。何らかの病気にせよ事件にせよ、要因だけでは発生せず、要因が何かを引き起こす契機があってはじめて結果が生じます。したがって要因となるものを無くし、契機を退けてはじめて結果を防ぐことができるのであり、これが普遍的なものごとの理と言えます。ガン予防についても、ただガン腫瘤の発生を防ぐことだけに目を向けていて良いのでしょうか?ガン細胞が存在しているかどうかを判断基準とする治療法では、それこそ「ガンは無くなったが、人もなくなった」ということになってしまうかも知れません。
中国の古典「三字経」には、「人の初め、性はもと善なり(人はその初めにおいて、本の性質は善である)」との言葉がありますが、同様に「癌の初め、性はもと善なり」と言うことが出来ます。体外体内の両方から、多種多様な悪影響が及ぼされると、人体の細胞は二つの選択肢を迫られます。そのまま死んでしまうか、それとも自力で自分を救うかです。つまり細胞は黙って死ぬのでなければ、自ら機能を改造し、自らの属する身体全体に向かって一揆を起こし、生き延びる道を求めようとします。人間が悪しき環境のもとでは、一揆や反乱という悪しき生き方で生き延びるしかないのと同じように、細胞もガン化することにより生き延びようとするのです。しかし、多くの人はガンとなる原因やきっかけが分からず、また分かったとしても原因を解消する方法がわからないので、結局は何とか自力で生き延びようとする細胞を「ガン細胞」として断罪し、環境の改善はそっちのけで、ひたすらガン細胞を皆殺しにするばかりです。
政治の改善を行わず、暴動を鎮めようとする政府が、結局は民衆によって転覆されてしまうように、ガン細胞を皆殺しにしようとすると、人命はたやすく失われてしまいます。いずれも末梢と根本を見誤っているのです。
旧ソ連の核エネルギーの専門家であるサハロフ博士は、「より多くの民主制によってのみ世界は平和となり得る」(The world can be made safe only by more democracy)と述べましたが、同様により身を清く心を正しく持ち、自省して人(細胞)を愛する―つまり、ひとつひとつの細胞や虐待されている細胞(=ガン細胞)をサポートすることのみが、ガンを良く防ぐ手段であるのです。