仁易霊芝湘南有限会社
学術関係論文 お問い合わせ トップページへ
〜高血圧は薬のコントロールで安心してはいけない〜

著:何永慶 (プロフィール)

(1)本文
(2)質疑応答
五:質疑応答

Q:霊芝と黒きくらげにはそれほどに良い効果があるのに、何故西洋薬を10〜20年にわたって服用してしまった高血圧患者に対しては、治療が不可能な状態になってしまうのでしょうか?

A:拙文の中で説明しましたが、人体が長期間にわたって西洋薬を服用しますと、薬が中枢神経を掌握、コントロールするようになってしまい、患者は精神面あるいは肉体面において薬に依存するようになってしまいます。言い換えれば、細胞が徐々に薬の毒性に慣れてしまい、「朱に交われば赤くなる」となってしまいます。普通、薬の服用期間が長ければ長いほど、多種類の薬を飲んでいる傾向がありますので、ますます「朱」に染まってしまい、自力で「朱」を脱するチャンスや可能性が減ってゆきます。そのため、薬の依存から逃れるのはとても難しいのです。例えば、高血圧という問題がひとつだけあった場合、現代医学は降圧剤を処方して血圧をするほか、何も手を打ちません。そのため西洋薬が血圧をコントロールすると同時に、その副作用が血液の質を劣化させ、体質も劣化させてしまいます。しかもそこに薬の依存という難題が重なって来ます。霊芝、黒きくらげは、どんな病状でも治してしまう魔法の薬ではありません。あまりにも難しい病状では、霊芝や黒きくらげでも解決できない場合があるのです。
 中国古代の医薬書『千金養法』の「養生序」の部分には、普通の養生で病を治すことを阻む「五難」について述べています。この災いは、古今東西、どこでも通じる内容です。

(1)名利不去(名誉や利益を追求してしまう)
(2)喜怒不除(むやみに喜んだり激怒したりするのを抑えられない)
(3)声色不去(酒を飲み過ぎすぎてしまう)
(4)滋味不絶(高カロリー、濃い味の料理を止められない)
(5)神慮精散(神経を使いすぎて精神が参ってしまう)

 高血圧患者の皆さんは、良い薬や治療法を探しておられると思いますが、まずその前に、以上の「五難」が、果たして自分はいくつ該当しているのか、問いかけてみてください。その「難」を進んで改め、無くしてゆけば、これほどに喜ばしいことはありません。しかしもしこの「難」があるならば、恐らくどのような薬を求められても、失望する結果に終わる可能性があります。



Q:メディアの報道によれば、イギリスのある製薬会社が高血圧の治療を可能にするワクチンを開発したとのことで、五年以内には市場に乗せられると聞きました。私はこれは多くの高血圧患者にとって非常に朗報であると思うのですが、このニュースについて、あなたはどのように考えますか?

A:2007年5月13日のデイリータイムスの報道によれば、イギリスのバイオ製薬会社Protherics社が、カサガイのタンパク質を利用して人体の免疫システムを発動させ、血管張力を高めるホルモンを攻撃させることに成功したとありました。ところで血管を拡張させる物質は肝臓で作られ、狭くなった動脈を通過すると血圧を高めるように作用します。今試みにこの新しいワクチンを人体の免疫システムに作用させれば、確かに血圧を下げるという目的は達成されます。

 実際、人類の医薬の歴史を見ると、新しい医術や医薬品の研究開発に不断の努力が払われ、現代医学の発展をみています。更なる研鑽により、医学が更に高度な発展をすることを、私は心から願っています。しかし、中医薬学と自然医学の「道法自然」の「全体を見る」観点から見た場合、私は今回の発見については、評価を留保したいと考えています。その理由は以下の三つです。

(1)明代の中国医学の大家である周慎斎は、「医を行うのに気を知らなければ、何を頼りに治療の方法を決定するのか?(知らなければ)専門家は笑うであろう。自分を理解する者はなかなか見つからないものである。痰を見ても痰を治療してはいけない。熱があっても熱を攻撃してはならない。喘息がある時には気が消耗するのを止めるべきであり、血を見たからと行って血そのものを治療しようとしてはならない。汗が出ないからといって汗を出そうとしてはならず、精気が漏れていると行って精気を補充してはならない。病機をしっかりと理解した人こそが、中医の中の傑物である。」と言っています。

 同じように、今日高血圧の治療と言うと、同じような過ち、つまり「痰を見て痰を治す」ように、「菌を見たら滅菌し、高血圧を見たら血圧を下げる」という過ちを犯しています。この計画も、旧来からの「標を治し本を治さず(目に見える症状を消すだけで、原因を治さない)」と言う状況を脱していません。ただ、薬物によるコントロールという方法に較べ、真の意味で症状をコントロールすることが可能であるか、もしくは副作用が少ないとするならば、本当に素晴らしいことだと思います。しかし本質的には「湯を換えても薬を換えない」(形ばかり変えて中身は同じ)であり、高血圧を完全に根本から解決するものではないと考えます。

(2)人体の「病理」の徴候は、例えば発熱、せき、鼻水から、本稿で紹介しました「血管の張力を高めるホルモンが血管を通過することにより血圧が高まる」までさまざまですが、いずれも身体が、体外から侵入してきた病因あるいは体内に発生した病因を、自力で治癒したり、もしくは助けを求めるために起こす反応です。ゆえに、本当の根本からの治療とは、自己治癒力を高め、同時に内外の病因を取り除くことにあります。しかしこのワクチンはどちらの働きも認められず、逆に自己治癒力を低め、身体の救援要請信号を消してしまう作用しか認められません。

(3)この研究計画には副作用はほとんど無いと唱われています。しかし平均して10人に1人の割合で、感冒に似た症状が短期間発症したとあります。試験ならば、人数を数十人から数百人、数千人と増やしても、決まった期間かつ決まった量で結果を出すことが可能です。しかし数千万人の人間が、十年、二十年あるいは更に長期間使用した時、どのような副作用あるいは後遺症が出るかは、その結果から把握することは出来ません。しかも、既に1/10の割合で副作用が報告されているのです。

 一部分を修理しても、もはや動くことの出来ない古い車があるとします。全面的な修理をせず、点火プラグだけを最新型の新品に取り替えたとしても、古い車はやはり動かないと思います。機械である車でもこうなのですから、車より何千何万倍も複雑で、精気、気血、肉体を持ち、更に感情や魂と言った見えざる存在まで持った人間の場合は、一部の修理で済む訳はないと考えます。




Q:ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの研究員が8000人を対象に研究を行ったところ、不公平な待遇を非常に強く与えられた人は、重篤な心臓病に罹る確率が55%も高くなるそうです(2007年6月2日デイリー・タイムスに依る)。この結果についてどのように考えますか?

A:昔から、人類の「六根不浄」、すなわち「貪、瞋、痴、慢、疑、怨、憎、恨」(欲望、怒り、愚かさ、誇り、疑い、鬱屈した怨み、憎しみ、根深い恨み)は人に害をなします。

 さて、いわゆる不公平や不正義、不平等というものは、どのような時でもどこでも発生します。そしてこのような不遇を自分も受けた経験から言っても、これら不公平などは確実に、人によって程度は違うものの、心身双方に衝撃を与え、ダメージを与えます。なぜなら、それが人間の感情や心の、本能的な自然の反応だからです。外因(外から来た病気の原因)は、内因(体内の病気の原因)に出会うことによって作用します。

 中医では実際七情内傷と言って、過度な感情がどのように身体に損傷を与えるかを述べています。例えば、過度の怒りは気を上げ、喜びは気を緩ませます。思い悩みが過ぎれば気が結び(流れが止まる)、悲しむと気が消え(気が行き届かなくなる)、恐れは気を下げます、また驚けば気が乱れます。これら七種の感情の過多は、いずれも臓腑そのものや、気機(臓腑の活動全体)に影響を及ぼします。

 気機が乱れると、主に肝、胃に影響が大きく現れます。脾と胃は「後天之本」(生まれた後に寿命を左右する重要な臓腑)であり、そのため「胃の気有らば則ち生き、胃の気無からば則ち死す」(胃の気が有れば生きることができるが、無くなったら生きることは出来ない)、「胃の気絶すれば、則ち百薬施し難し」(胃の気が絶えてしまったら、どんな薬も効果が無い)という、中国医学数千年の経験から生まれ、実証されつづけてきた言葉があるのです。これら中国医学の理論は、西洋医学の研究を進めるに際し、その客観性と臨床意義に寄与することが出来ると思います。

 さて、どのような原因がきっかけであれ、怒りや恐怖、不安や焦りや不満などの快くない感情が起こると、ノルアドレナリンが分泌されると同時に、アドレナリンも分泌されます。これは人体が内外のストレスに対抗するための反応ですが、一時的なものならともかく、あまりに頻繁に起こると人体に有毒とも言える作用を及ぼします。つまりこのふたつの成分が常に分泌されるような状況に陥ると、血管の収縮、血流の阻害、大量の活性酸素(フリーラジカル)の発生を引き起こし、遺伝子を直接的に損傷することとなります。また過酸化脂質を発生させ、血圧も高くなり、当然他の慢性病に罹患する確率が高くなり、ひどい場合には突然死を引き起こします。

 逆に、いつでも中道(極端に走らない生活)を保ち、ピンチの時も取り乱さず、プラス思考を保ち、時には慣習や常識を捨て、全体の状況を見て臨機応変に対応することができれば、いつでもどこでも落ち着き、心楽しく過ごすことができます。さて、このような状況の場合は、大脳からはエンドルフィンが分泌されます。このエンドルフィンは一種の快感をもたらすホルモンであり、現在約二十種類が確認されています。種類により、作用する力の強弱の違いはありますが、薬理作用はだいたい同じです。脳内でモルヒネ同様の作用をする快楽物質の中で最も強力なのはβ―エンドルフィンで、不快な考えなどを中和することができます。

 東洋医学でも西洋医学でも、感情や考えがプラスにせよマイナスにせよ、血圧に大きな影響を与えていることについて、それぞれ詳細な研究を行っており、言うなれば同じ内容を違う表現で研究していると言うことができます。

 以前、不法入国を試みて逮捕された人が、看守に非常に「同情」され、「あなたは毎日この牢屋に閉じこめられ、年ばかり過ぎて行き、希望も自由もないなんて、いっそ死んだ方がましなほどですね。」と言われました。しかしこの看守の「憐れんだ」話を聞いた後、逮捕された人は急がず騒がずに、こう答えたそうです。「ご心配ありがとう。しかし私にしてみれば、私よりももっと可哀想な人が居るよ。なぜって、私は体が自由でないだけだけど、彼らときたら心が自由でないのだから。」
 同じ苦しい環境に置かれたり、あるいは同じ苦難に遭遇した時、どうしてくじけてしまう人と、逆に奮起して立ち上がる人とがいるのでしょうか?同様の研究として、不公正や不正義に出くわすと心臓病の危険が高まる人が五十五%で、残りの四十五%の人はなぜ危険が高まらないのでしょうか?

 禅の教えの中に、風が動いたのか旗が動いたのか、それとも心が動いたのかという禅問答があります。この禅問答は、ある時、旗が風にゆれているのを見て、ある人は旗が動いたと言い、ある人は風が動いたのだと言い、お互い譲らなかった時、禅の名僧である慧能禅師が「風が動いたのでもなく、旗が動いたのではない。お前達の心が動いたのだ。」と答えたというもので、今の時代、多くの人が心に留めるべき禅問答だと思います。儒教の『大学中庸』には、「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う。発して皆中節、之を和と謂う。」(喜怒哀楽がまだ表れていない状態を中と言う。発した後にすべて中の節度になっている状態を、和と言う。)という教訓があります。『仏法』にも、「心浄ければ則ち国土浄し」(心が清浄ならば、その人の居る国土は浄土である)があります。いずれも、現代を生きる我々が心に留めるべき価値を持つ言葉だと思います。

 もしあなたが今現在他人よりも強い立場に居り、その形勢がひっくり返された時の心の準備が出来ていない、あるいは「清静自在」(心が穏やかで自由である)の心持ちに達していないならば、以下の言葉を参考に、心身の健康を守られるよう願っております。

 あなたは命の長さを決めることは出来ないが、
 その広さをコントロールすることはできる。
 あなたは天気を左右することは出来ないが、
 心持ちを変えることはできる。
 あなたは容貌を決めて生まれてくることはできないが、
 微笑むことはできる。
 あなたは他人を左右することはできないが、
 自分を変えることはできる。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−〜以上

〜この質疑応答は、何先生が中国、台湾で同様の内容の講演された際、お寄せいただいた質問及び回答より抜粋いたしました。

参考資料:
 注1:杭群『高血圧中西医双効自療手冊』旺文社出版
注2:Dieter Ladewig『上?的秘密』晨星出版
注3、5:陳栄洲 曽弥述著 洪肇嘉 張進吉審訂
      『神医 百病争戦録』世茂出版
注4:森昌夫『霊芝使血圧下降』青春出版
注6:杭群『霊芝人類健康的希望』世茂出版
注7:何永慶「霊芝與黒木耳対心脳血管疾病的防治」
(中華民国能量医学学会第三回学術研討論文集掲載)
注8:春山茂雄『脳内革命』創意力文化

個人情報保護法について |  特定商取引に関する表記
  ■当ホームページ掲載の記事・写真・イラスト等の無断転載を禁じます。すべての著作権は仁易霊芝湘南有限会社に帰属します。