仁易霊芝湘南有限会社
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〜心臓及び脳血管の疾病予防に対する霊芝と黒きくらげの効果〜

著:何永慶 (プロフィール)


第一章 病気とは何か?

第二章 霊芝について

第三章 黒きくらげについて
★はじめに

 心臓と脳の血管の病気と言って思い浮かぶ病と言えば、例えば高血圧、低血圧、動脈粥状硬化、先天性心臓病、心臓弁膜不全、心内膜炎、急性及び慢性のリューマチ性内膜炎、心臓を原因とする喘息、不整脈、狭心症、心筋梗塞、動脈瘤、脳梗塞、脳炎、脳性の麻痺など、非常に多いです。これらのほとんどは誰もが知っている主流の医学(西洋医学)の病名です。さて、これらの病気に共通する特徴を答えることは簡単です。なぜならこれらの病はすべて病理現象、細菌、ウイルスの形態によって区分され、発病した器官の生理的な位置によって命名されてるからです。一言で言えば、結果なのです。

 病名が明確にされた後、一般的には、「対症下薬」によって治療が行われると信じられています。例えば高血圧になったらすぐに降圧剤を投与する、狭心症や心筋梗塞の場合には三硝酸グリセリンを用います。これは「兵が攻め寄せたら防ぎ、水が溢れたら土を盛る」というような、危機が現れてから対策を講じるような治療法であり、効果が直ちに現れます(また、急激に悪化する症状の場合に有効な治療法です)。しかし、このように病気を敵とみなすやり方は、中国医学では「下工は末病を治す」と言い、確かにすぐに目に見える症状は消えるものの、根本の部分を治療しない(標を治、本を治さず)結果となり、医原病や薬原病を残してしまい、結果として患者を苦しめ、また同時に医学界の頭痛の種となるだけなく、一般社会のひとびとをも途方に暮れさせています。そうでなければ、アメリカのディーン・ボードウェル(Dean Bordwell)医師が、「我々があなたに伝えた知識は、その半分は誤りである。だが不幸なことに、どの半分が誤りなのかがわからないのだ」とは言わないはずです。

 つまり、良い薬、良い治療法というものは、本来は「上工は未病を治す」、つまりは対症療法ではなく、病源(病気となる下地)を絶ち、病因(病気の直接的原因)を取り除き、更に病機(病気を引き起こす切っ掛け)を無くさなければ、表に見える症状と病気の原因の両方を治すことは不可能なのです。

 もし「上工は未病を治す」という治療を必要とするならば、まずは改めて「病気」「診断」「薬」、「治療」ということにたいし、違う角度から考えなおさねばなりません。私は学も浅いですが、個人の見解として、敢えて世間一般の常識と全く異なる考えを提示しようと考えております。先達や斯界の学識ある皆様に限らず、広く皆様のご意見を賜れますよう、願っております。


(1)「病気」とは何か?

 中国医学では、「病」とは正邪の消長の動態的現象とみなします。つまり、バランスの取れた免疫力や栄養の順調な消化吸収など、体自身を良くする働き(正)と、免疫力の低下や過剰、消化不良などで体のバランスが悪くなり、体自身が悪くなる働き(邪)が、日々それぞれに盛んになったり衰えたりする動きを、「病」と呼びます。「陰陽の失調、之を病と謂う」という語も、同じ意味です。対し、西洋医学では疾病を、身体が外敵を防御する働きと、身体自身の持つ排毒作用と考えています。


(2)病因はどこにあるか?

 イギリスのサー・マッケンジーは、疾病の真の原因について長く研究していましたが、ロンドンの診療所を閉めて故郷のスコットランドの町に戻った後、その豊かな臨床経験と観察力で、最後の結論に達しました。
「例えそれらがすべて同じ毒素であっても、それが関節に留まれば関節炎となり、肝臓に留まれば肝炎となり、腎臓なら腎臓炎、皮膚なら皮膚炎、膵臓なら糖尿病、脳なら精神病を引き起こす。」(注1)
 同じくイギリスのハリー・ベンジャミンは著書の冒頭で、「病はそれがどのような形態であれ、原因はただひとつ、体内の老廃物及び毒素の堆積である。」(注2)と述べており、日本では江戸中期の医学者、吉益東洞が、万病一毒論を唱えています。
 そして中華自然療法の創設者であり学術指導を行っている陳紬藝中医師は「万病一気」と「万病一毒」の説を唱えていますが、これもまた非常に同意できるものです。

●気化(万病一気)
    ……「風」は百病の長(無形・エネルギー)
       病因(病因の統一性)
●病毒(万病一毒)
    ……「痰」は百病の母(注3)

 以上の学説を私なりにまとめると、以下のようになると考えています。

★病毒……食毒、内毒、外毒の三種に大別できる

[1]食毒……高カロリー、濃い味の食材、飲む水の量が少ない、運動不足、喫煙、飲酒など。(「病は口から入る」)

[2]内毒
(1)体内において、食物の消化及び代謝が不十分であり、各種の酸性毒素が発生し、気を滞らせ、血をドロドロにする。汗や小水など体液の排出が滞る、大便小便の通じが悪い。
(2)感情から発生する毒……怒り、喜び、集中、憂い、悲しみ、恐れ、驚きが過ぎる。貪欲、臆病、痴呆、怠慢、疑念、嫉妬、恨みなどの負の感情。
(3)誤った認識(間違った資料及び学説)……「間違った観念は、暴君よりも恐ろしい」(注4)
[3]外毒……環境汚染、生態系のバランスが崩れる、各種の化学薬剤(大部分の西洋薬も含む)、過剰な食物添加物など。これらの外から来る毒は日々積み重なり、早晩人体の排毒能力と自己免疫力を上回るでしょう。


(3)どのように診断するか?

[1]
 今日の主流の医学(西洋医学)は、病名が非常に多く繁雑であり、医学辞典に掲載されている病名だけでも、既に二十万種を越えています(注5)。これでは検査機器や器具に頼り、何かしらの根拠のある数値などの検査報告を見ない限り、医者が診断することはほぼ不可能です。まさにこれは「万病万元」(全ての病にはそれぞれ違った原因がある)という考えが生み出した複雑怪奇な現象です。何万種類もの症状がある以上、何万種類もの医薬品が製造されるのも無理はなく、しかもそれは対症療法の下薬にならざるを得ません。更にあまりにも多い病名は、病因の追求を困難にします。そもそも人体とは血液有り、肉有り、感情あり、意思有り、感性あり、魂有りという多元的かつ活動している有機体なのですから、管一本で空をのぞき見ても空すべては見えないように、機械ひとつで窺い知ることはできないのです。

[2]
 中華自然療法医学は、古典的な中国医学の八綱弁証に、更に新しい八綱を加えました。
〜古典的な中国医学による病気・中医八綱
病機(症状の統一性)
陰……裏・寒・虚  陽……表・熱・実

〜陳紬藝の新八綱
邪・正  内・外  出・入  昇・降
……邪と正はお互いに増減、消長、進退のチャンスを張り合って譲らない(注6)

 「機」とは、結果が出る前の状態における各種の原因のことを言います。病気との縁あって出会ってしまうまでの過程は、往々にして見ることもできず、はっきりと把握することもできません。例えて言うならロトの当選番号の発表が「病理検査から出た数値」で、当選番号の予想が「八綱弁証」のようなものです。中国のことわざに「義に依って語に依らず、智に依って識に依らず」(言葉そのものではなく、言われた内容の意義に依るべきであり、知識ではなく智慧に依るべきである)とありますが、ここに言うような総体的な智慧を用いて多層的、多次元的に推理をするのが八綱弁証であるとも言えます。


(4)良薬とは何か

[1]medicine(西洋薬)のほとんどは酸性の毒もしくは更に強力な毒性を有しています。したがって、medicine≠food(西洋薬は食物と同じように食することができない)ということが言えます。medicineは対症療法に用いるように設計されているため、症状を即座に消去することができますが、多かれ少なかれ薬原病をもたらします。
Medicine(非自然の物質)
    ……対症療法に用いる。有毒もしくは副作用がある。

[2]中国医薬は、純粋に自然の物質を用いており、医食同源、薬食同根の考えに基づいています。3つのランクに区分されます。

●「上品」の薬は全くの無毒で、生命そのものを養うことができ、長期間服用しても人体を傷つけることがありません。また、身体から倦怠感を取り除いて身軽に動けるようにし、気力を増し、寿命を延ばす、またアンチエイジング(老化防止)のために用います。

●「中品」の薬は無毒かあるいは毒が少なく、やはり生命に有益です。どのような場合にどの薬を用いたらよいか斟酌するのが良く、病気の治療や気力体力の不足を補うのに用います。

●「下品」は有毒であり、長期間服用してはいけません。寒気、熱気などの邪気を払い、体内の毒素を即座に除去させ、速やかに症状を消したい場合に用います。

 百年前に西洋文明が一挙にアジア世界になだれ込んだ時、西洋式の強力な武力は清王朝を打倒すると供に、中国人の自信をも打ち砕きました。そして「薬」という語を翻訳する際、中薬の「薬」の字と西洋医学のmedicineに上書きされ、名誉を傷つけられました。これはまったくの冤罪です。中医の「薬」とは、人が病になって苦しい時に「草」(植物)を食べると「楽」になれるので、「楽」の上に「草」を付けて「薬」の字としたのです。これが中国医学における「薬」の概念ですが、しかし今日、世界中のほとんどの国家で医薬の管理は主流医学のmedicineの学理を基準としており、中国医学を科学と認めないばかりか、食品は医療効果を表示してはならないとまでしています。

 しかし「薬」はmedicineでは決してなく、治療の効果も薬とmedicineでは全く違います。薬は「順治」であり、病気となる下地を取り除き、原因を無くしますが、medicineは「逆治」であり、目に見え、感じられる症状を取り除きます。この二者を一緒に論じたり、ごっちゃにしてはいけません。中医薬は中国医学の理論的な指導のもとに仕様されてはじめて能力を発揮します。まず、「弁証論治」を行い病機を把握した後、病源を突き止め、自然的な理論、方法、処方、食事、薬で原因を無くしてゆきます。言い換えれば、煮え立った釜の湯を冷ますために、釜の下の薪を取り除くようなものです。こうして人体の陰陽のバランスを良くすれば(中医の言葉で言えば「陰平にして陽秘すれば、精神乃ち治る」となります)、病症は自然と、「治さずして癒え」ます。


(5)治療とは何か

 中国医学では、急症(急激に症状が悪化する)場合は標(現れている症状)を治し、緩症(慢性病)を治す時には、本(病気の原因)から治療します。急症、緩症の両方に該当する場合は、標と本の両方を治療します。
 主流医学では、病気を敵とみなし、病気を取り除いて不快な症状を無くします。つまり、現れている症状を消すことが主要な治療目的です。

 中華自然療法医学では、病気を親族のように見なし、師に対するように接します。そして病気のきっかけ、原因、病を得た下地を取り除き、病気となった条件ひとつひとつをなくしてゆきます。そうすれば病気は、薪を取られた竈のように、自然と火が消えてお湯がさめてゆくように、治療しなくても治るのです。


※上図注:ただし、下薬と西洋薬は、すべての生命活動の中には含むことはできません。


 以上の論述と経験をまとめると、心臓及び脳の血管の疾病の予防に対し、異なるふたつの方法があるわけではありません。むろん、最も良いのは健康な時、もしくは準健康の時期に予防をすることですが、しかし疾病期(もしくは更に重篤な段階に)入ってしまった場合は、表に出ている症状と根本的な原因の両方を治療しなければなりません。つまり、中国医学、西洋医学を適切に組み合わせ、補完することも可能です。ただし、毒(副作用のある薬含む)を以て病を治す時には、ほんの少しの量しか使ってはいけません。また中国医学は「大毒で病を治すは、十の其の六を去る」(黄帝内経)とありますが、これは強い毒性、副作用を持つ薬を使って治療する場合は、病全体の六割までしか治療してはならない、という意味です。徹底的に治療を行ったり、「正を扶けるを以て邪を祓うに利し、邪去れば正自ら安んず(体の持つ良い作用を助けて、悪いものを排出しやすいようにしてやり、悪いものが無くなれば、自然と体は良くなる)」という原則を忘れてるようなことがあってはいけません。


(6)医療とは何か?(どうやったら長期間健康かつ安心して居られるか?)


(一)…… 自然治癒力を助けるには、自然治癒力を妨害したり危害を加えないようにしなければならない。
(二)……根本を直すのが善治(良い治療)である。
(三)…… 「標」(症状)を治し、「本」(原因)を直さないのは暴治(悪い治療)である。


●順治 〜縁を絶ち、因果を滅せば、結果は生じない(仏教の教典のひとつ「楞厳経」より)



●逆治 〜草を刈って根を抜かなければ、春風と共にまた生い茂る(中国の諺)




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